野球肘「少し違和感があるだけ」その一言が、長い休養の始まりだった。
「シュッ……パチンッ!」
夕暮れのグラウンドに響く、心地よいキャッチボールの音。 中学2年生のA君は、チームのエースを争う真っ只中にいました。 指先から放たれるボールは唸りを上げ、受けるキャッチャーのミットを気持ちよく鳴らします。
その日の練習終盤、事件は起こりました。 遠投の3投目くらいだったでしょうか。
全身を使って力一杯投げた瞬間、右肘の内側に、針で刺されたような「チリッ」とした鋭い違和感が走りました。
「……ん?」
自分の右腕を不思議そうに見つめ、軽く振ってみるA君。 激痛ではありません。「少し電気が走ったかな?」「ちょっと張ってるかな?」程度の感覚です。 しかし、周囲を見渡せば、ライバルたちが必死に声を出し、泥だらけになって白球を追っています。
ここで「肘が痛い」なんて言ったら、レギュラー争いから脱落してしまう。 来月には、3年生と一緒に戦える最後かもしれない大きな大会も控えている。
「A、今の球どうした?少し浮いたぞ。大丈夫か?」
異変に気づいたコーチが声をかけます。A君は、心臓の鼓動を抑えながら、少し引きつった笑顔で答えました。
「大丈夫です!ちょっと力が入っただけですから。次、行きます!」
この一言が、その後の数ヶ月に及ぶ苦悩の始まりになるとは、その時の彼は知る由もありませんでした。
「隠す」という選択肢を選んでしまう、ジュニアアスリートの心理
現場で多くのジュニアアスリートを見ていると、A君のようなケースは決して珍しくありません。むしろ、「真面目で責任感が強い選手ほど、痛みを隠す」傾向があります。
子どもたちは、純粋に「野球が好き」だからこそ、そして「仲間に迷惑をかけたくない」「監督に期待されている」という思いがあるからこそ、痛みを自分の心の中に閉じ込めてしまいます。
しかし、野球肘において、この「初期の沈黙(サイレント・ダメージ)」こそが最大の敵です。
肘が発信している「イエローカード」の正体
「激痛ではないから大丈夫」という判断は、野球においては非常に危険です。 以下のようなサインが出ていたら、それは肘が悲鳴を上げている証拠です。
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練習の初動(アップ時)に肘が重だるく、体が温まると消える。
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全力で投げた後に、肘を完全に曲げ伸ばししようとすると違和感がある。
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朝起きた時、肘が固まっているような感じがし、数分動かすと楽になる。
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重い荷物を持った時に、肘の内側にピリッとした刺激がある。
これらは、骨や靭帯が小さなダメージを蓄積している「前兆」です。 A君はこのサインに気づいていながら、「気合が足りないだけだ」と自分に言い聞かせ、アイシングや湿布で誤魔化しながら練習を続けました。
崩れていく歯車:痛みが生む「代償動作」
家で親御さんに「肘、痛くない?」と聞かれても、「全然平気」と突き通したA君。 しかし、本人の意思とは裏腹に、体は正直でした。
無意識に肘の痛みをかばうため、肩が下がり、腰の回転が浅くなります。いわゆる「手投げ」の状態です。 その結果、球威は落ち、持ち味だった制球も乱れ始めます。
指導者からは「フォームが乱れているぞ!もっと腕を振れ!」と叱咤され、さらに無理をして腕を振る。 負の連鎖が止まらなくなっていきました。
そして運命の練習日。マウンドから全力で投じた一球。
「ブチッ」
という、自分にしか聞こえないような鈍い音とともに、A君はその場にうずくまりました。 右腕は力なく垂れ下がり、もう、嘘をつき通すことは不可能でした。
保護者・指導者の皆様へ:観察のポイント
子どもが「痛くない」と言っていても、日常生活の中に「サイン」は隠れています。
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食事の様子: 箸を持つ手が不自然、または肘を深く曲げる動作(顔に手を近づける動作)を避けていないか。
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着替えの動作: Tシャツを脱ぐ時に、特定の角度で顔をしかめていないか。
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カバンの持ち方: 重いリュックを背負う時や、手提げを持つ時に腕をかばっていないか。
野球肘は、早期に発見できれば、わずかな期間のノースローと適切なフォーム修正で、何事もなかったかのように復帰できます。 しかし、限界まで我慢してしまうと、剥離骨折や靭帯損傷を引き起こし、手術や長期離脱、最悪の場合は大好きな野球を諦めなければならない状況に追い込まれます。
「痛い」と言える勇気を認めてあげること。 そして、その小さな勇気が、将来のプロ野球選手への道を閉ざさないための唯一の方法です。
次回予告:【第2話】告げられた「投球禁止」。絶望の中で見つけた、肘以外の「弱点」。
ついに当院の門を叩いたA君。精密な検査の結果、突きつけられたのは「全治3ヶ月」という厳しい現実でした。しかし、そこで見つかったのは肘の故障だけではありませんでした。
【当院よりお知らせ】
「もしかして野球肘かも?」と少しでも不安を感じたら、我慢せずにご相談ください。 当院では、最新のエコー検査や全身の可動域チェックを行い、痛みの「本当の原因」を特定します。

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